毎月の例会で、会員の有志がこけしを展示して、そのこけしにまつわる話を聞かせてくれます。

12月例会ギャラリー

8寸の勘治型こけし
(村上 穆)
写真上
写真下
例年12月例会の第2部は、その年に亡くなられた工人さん方のこけしを持ち寄って、工人さんを偲ぶ会を催すのが恒例になっています。

今年は、1月25日に遊佐福寿さんが、5月18日には小椋勇三郎さんが亡くなられました。福寿さんのこけしについては大変造詣が深く、現在「こけし手帖」に『福寿のこけし』を連載中の、国府田恵一さんにお話をしていただくことになりましたので、それにちなんで、高勘系の工人さん方が作った、8寸の勘治型こけしを持ってきました。

直系は盛さん一人ですが、残念ながら盛さんの勘治型は持っておりません。第3世代が長男の盛雄さん、長女の高橋松子(戸籍上はまつを)さん、次男の遊佐福寿さんの3人です。柴田長吉郎氏にうかがったところ、松子さんは勘治型を作ったことはないだろうということでした。

第4世代は、師弟関係では森谷和男さん、滝島茂さん、柿沢是隆さん、高橋輝行さんの4人で輝行さんは松子さんの長女まさ子さんのご主人です。直系では盛雄さんの次男敏文さんと、松子さんの長男義一さんの2人です。滝島」さんの勘治型が見当たらないので、本人に確認したところ、かつて何本か作ったことはあるそうですが、師匠の盛雄さんにおこられ、その後は作ったことはないということです。

柿沢是隆さんの長男・是伸(よしのぶ)さんが、最近勘治型を作るようになり、勘治型も第5世代に入りました。

@高橋盛雄、昭和45年。
西田勘治をかなり忠実に復元したもので、横鬢は余り後ろに跳ねていません。また、左右の髷の間の赤く塗られた空間は、前髪の直ぐ後ろに描かれていて、正面からもみえます。胴模様に蕾は描かれていません。
A遊佐福寿、昭和52年。
深沢勘治を復元したもので、横鬢は後ろに跳ねていて、左右の髷の間の赤く塗られた空間は、頭頂部に描かれていて、前からは見えません。頭頂部の髷の形が楕円形になっているところは、西田勘治型になっています。胴模様には2輪の菱菊の両脇に、4つの蕾が描かれています。
B森谷和男、平成13年。
昭和22年から盛雄さんに師事し、最近になって勘治型を作るようになりました。胴模様の蕾は2つだけです。
C柿沢是隆、昭和60年。
昭和30年から盛雄さんに師事。福寿勘治型を忠実に復元していますが、頭が大きく、胴の絞りがきついようです。
D高橋輝行、平成13年。
昭和30年から盛雄さんに師事。最近になって勘治型を作るようになりました。胴模様は、西田勘治と深沢勘治のミックスで、蕾と葉の両方が描かれています。上下2本の黄色のろくろ線がありません。
E高橋敏文、平成6年。
昭和45年から父・盛雄さんに師事し、盛雄勘治型を忠実に復元しています。
F高橋義一、平成13年。
昭和42年から盛雄さんに師事し、最近になって勘治型を作るようになりました。胴模様は輝行さんと同じく、西田勘治と深沢勘治のミックスで、蕾も4つ、葉も4枚描かれています。
G柿沢是伸、平成13年。
最近になって勘治型を作るようになりました。福寿の勘治型を忠実に復元しています。ただ、胴に黄色のろくろ線がありません。

高橋敏文さん、高橋盛雄さん、遊佐福寿さんが相次いで亡くなり、血縁関係で勘治型を継承する人は高橋義一さん一人になってしまいましたが、勘治型には捨てがたい魅力があるようで、これを復元しようという人が最近増えてきました。