毎月の例会で、会員の有志がこけしを展示して、そのこけしにまつわる話を聞かせてくれます。



−4月− 佐藤照雄のこけし
(吉田 博人)
佐藤照雄のこけし
佐藤照雄は、大正8年6月佐藤豊治の次男として生まれるが、父よりも従兄の静助と英次に学ぶ。

照雄の初作は、昭和13年静助の工場での3寸300本であろう。本格的には、昭和14年の遠刈田での正月製作6寸強の、一筆目縦2本割れ鼻、肩と裾に紫ロクロの重ね菊(こけし辞典参考)と思われる。

昭和15年以降は兵役のため余り製作していなく戦後は、新型ブームのため旧型は、片手間に挽いていたが33年より旧型に戻る。

戦後、照雄は本人型と静助型どちらを主に製作するか迷っていたようで、一般的に遠刈田では、一筆目は伝統でないと言われていたので、静助型一筆目を選び苦労をされたようだが、残念ながら昭和63年7月9日亡くなられた。私自身この眉のある眼点の無い一筆目のこけしの変化が好きである。皆様も、所有の一筆目のこけしの変化を比較してみてはいかがでしょうか?

写真は左から
@昭和14年頃20歳、A昭和32年38歳、B昭和40年46歳、C昭和50年56歳、D息子憲雄作