毎月の例会で、会員の有志がこけしを展示して、そのこけしにまつわる話を聞かせてくれます。



−5月− 本間久雄と柏倉勝郎のこけし
(橋本 永興)
右:柏倉勝郎、左:本間久雄のこけし
久雄のこけしとの出会いは、十数年前当会の会長であった西田会長のお宅におじゃました時のことであった。その日、色々とこけしに付いてお話を聞かせて戴いていた時、何げなく暖炉の上に置いてあった、久雄のこけしを手に取り私に下さった。それ以来我家のこけし棚に大切に収納している。

半年ほど前に偶然師匠の勝郎のこけしを入手することが出来、弟子と師匠のこけしを我家のこけし棚に並べる事が出来た。

写真右は6寸の勝郎のこけし、頭部は鳴子と同じように、首の部分を胴にはめ込んでいる。肩の部分は曲線的に削られている。肩の部分と胴の下のロクロ線と花弁は赤色で、葉は緑色で描かれている。胴は白胴であるが黄色胴が多いようである。頭頂部はおかっぱ頭に中剃りを青色で塗っている。写真左は久雄のこけし、酒田柏倉勝郎型と記されている。描彩は勝郎と同じであるが、肩の形状はやや直線的なのが特長である。

勝郎は明治28年に山形市で生まれ、主に酒田市で活動し、昭和36年亡くなっている。系統は雑系と及位で佐藤文六のもとで働いた事があり、肘折系と分類する文献もある。酒田市時代久雄の父本間儀三郎に依頼されこけしを作っている。特に昭和10年から14年頃のこけしが文献に多く掲載されている。

久雄は明治43年に酒田市で生まれ、昭和59年亡くなっている。父について修業中、勝郎との接点があり、昭和39年収集家の薦めで勝郎のこけしを思いだし作っている。それ以降少しづつ作り続けた。

本間久雄のこけしは西田会長から戴いたと言うことからも、私に取って思い出深いものである。これからも大切に保管して行きたいと思う。