毎月の例会で、会員の有志がこけしを展示して、そのこけしにまつわる話を聞かせてくれます。



−7月− 源吉と源七のこけし
(百足 正文)
写真
 斉藤源吉は明治18年蔵王高湯に生まれる。34年17才で木地修業を始めた。師匠の松治は親交の深い栄治郎の影響をうけるところが大きかったと言われています。源吉は地元の開発や山形こけし会創立に尽力し温厚篤実ゆったりとした長者の風格があった。

 写真右昭和30年頃の作品で寿の字が有り栄治郎型の華麗甘美なこけしですが、胴模様の桜くずしや面相の描彩など相当自己の表現があり、雰囲気が違うと思います。

 写真右から2本目、昭和27年の作品で胴模様の花弁が極端に多く細長く密接している。又、面相が美しく仕上っている木地と描彩の技術は抜群。

 写真右から3本目、源七は明治45年の生まれで39才で病没。源吉さんの直系で絶えるのが惜しまれ当時は沢山の人達が残念がったそうです。源吉の型を忠実に伝承しているが胴模様の五段重ね菊、瞼線が三日月形に強く曲がり瞳が大きい。この2点はかなりの差がありますが優しさが溢れる良いこけしです。

 写真左、参考品で橋本力蔵のこけしです。明治36年の生まれ、大正6年15才で源吉の弟子になり昭和8年31才まで緑屋で職人として働いた。温和でおとなしい。源吉の型を継承し確実感がある出来栄えに仕上っている。この3工人のこけしは私にとって貴重なものであり、いつまでも手元に置いて鑑賞したいと思います。