毎月の例会で、会員の有志がこけしを展示して、そのこけしにまつわる話を聞かせてくれます。



−平成15年7月− 佐久間弥と佐藤兵七のこけし
(手塚 正二)
佐久間弥と佐藤兵七のこけし
 佐久間弥は、明治40年8月生まれ。14歳のときに叔父の佐藤嘉吉より木地挽きの指導を受ける。木地業とは関係のない仕事をして、合間にこけしを作っていた。昭和15年に復活。16年頃から、戦後にかけてが最盛期で、土産物店を経営しながら作っていたが、21年頃に休業。

 昭和33年に再度製作を再開した。佐久間弥は、それほど人気のある工人とはいいがたいが、華麗な作風が特徴である。

 写真右側尺3寸36年作・2本目尺は、47年作。目の書き方が右下がりとなり変わった。

 弥は昭和39年に廃業し、使用していた轆轤を義兄の兵七の息子に譲渡した。

 轆轤を無くした弥は、2本目の47年作のこけしは、どのようにして作ったのか疑問が残りますが、尺のこけしは、佐志馬さんの家で、佐志馬さんから、直接購入したもので恐らく佐志馬さんの轆轤を利用して、暇を見て作っていたのかと思います。

 その後2〜3本佐志馬さんから、購入した記憶があります。

 平成7年12月11日、死去、88歳。

 弥の轆轤を受けた兵七は、佐志馬の指導を受けて、昭和41年頃からこけしを作り出した。

 兵七は嘉吉の子息ながら、木地関係には無縁で土湯温泉の入り口で写真館を経営し、こけしを販売していた。

 60歳過ぎての隠居的な楽しみで作ったので作品数は少ない。

 佐志馬の伝承で有るが、こけしは弥のこけしに近い作りである。

 昭和44年5月3日、死去、68歳。