毎月の例会で、会員の有志がこけしを展示して、そのこけしにまつわる話を聞かせてくれます。



−平成16年2月− 小原直治型のこけし
(国府田 恵一)
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 小原直治のこけしは遠刈田系のタイプ(「こけし辞典」より)とされるが、長いこと未確認であった。鹿間時夫さんが所蔵のこけしを遠刈田に持参し関係者の証言から、それが小原直治のこけしと確信するに至ったのは昭和33年5月のことであった。鹿間さんはこのこけしを何とか復元すべく白羽の矢が当ったのは佐藤吉之助であった。これが小原直治型こけしの始まりである。

 写真@のこけしは胴模様が独特な重ね菊(襟菊とも言う)であることから直治型のこけしであることは想定できたが、胴底の達筆な署名からは作者を特定出来なかった。幸い一緒に書かれていた日付が「三三年五月七日」であったので、これが吉之助の復元作と分ったのである。鹿間さんの著書「こけし鑑賞」に載っている吉之助とは表情が違うが、幾つか作った内の一本なのであろう。

 次に直治型を復元したのは朝倉英次で昭和36年のことである。写真Aは昭和43年の作で初作ほどの鋭さは見られない。三番目は佐藤守正で昭和44年、写真Bはそれよりやや後の作と思われる。守正の弟子の我妻信雄は昭和47年から制作。写真Cは「こけしの会」頒布の箕輪直治の忠実な復元品(昭和55年)である。

 佐藤英太郎は昭和59年より。写真Dは同年6月の個展に初出品した直治写し。朝倉英次の息子光洋も直治型を継承しており、写真Eは平成13年の作(らっこ直治か)。佐藤一夫も守正の弟子という関係から直治型を作る。写真Fは平成9年の友の会頒布品。佐藤勝洋は平成10年から。肩に緑のロクロ線が入っているのは写真ではそう見えたからとのこと。
直治の弟子の菊池孝太郎の息子啓の直治型が写真Hである。